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著書 人は死後どうなるのか を久しぶりに読んでみた。

はや あれから5年か。 

過去記事
我々はゲームで遊ばれている? を読んで、 引用が間違っていることに気付いたのは、いつだったのだろうか?  いつかやろう いつかやろう と先延ばしにしているうちにはや 5年も過ぎてしまった!

人は死後どうなるのか (表紙)
 著書 人は死後どうなるのか は、読んでいて 物凄く 気分が悪くなる本だけど 何年ぶりかに読んで 引用の間違いを訂正しようと思う。

と思い170ページを開いてみると、 物凄い気分が悪い! 

(人は死後どうなるのか 昭和63年9月30日初版発行 引用開始 
170ページ



ガンで一年半ものあいだ苦しんで死んだ父親を招霊してみると・・・・
いま俺は石の棺のなかに押し込められ、蒸し焼きにされている!

「死なないでっ!」
危篤状態でいままさに息をひきとろうとしている大阪府松原市の渋谷信輝さん(仮名・四十四歳)は、嘆き悲しむ家族に見守られながら息をひきとった。
 末期のガンで一年半もの苦しい闘病生活の果てであった。
 昭和六十二年五月十二日が命日となった。
「お父さんの霊を招んでみよう」
家族の意見で、一周忌がすぎてから渋谷さんの招霊がなされた。
「もっと早く会いたかったなあ・・・・・・」
 渋谷さんの霊は、降りると同時に、そういった。家族の者はみな、渋谷さんの最初の一声に泣きだしてしまった。
 霊能者の身体に降りてきた渋谷さんの霊は、いま自分のいるところについて話しはじめた。


 私はいま、石室のなかに閉じこめられている。火あぶりにされているように暑い。ジリジリと

171ページ
身体が熱くなってくる。身体から水分が抜けていくような感じだ。
 石室のなかは狭く、動きまわることはできないんだ。うす暗く、暑い石室のなかで、ほとんど立ったままの状態でいる。とても苦しい。
 でも、どうにもならない。立っていると、足のつま先からだんだん焦げてくる。全身が蒸されているような感じになってきた。
「逃げたい」
 何度そう思ったことか!その石は重く、私が叩いたぐらいではビクともしない。
 私はこのまま、ゆっくりと蒸し焼きにされるのだろうか?二度目の死はやってくるんだろうか?
 こんな苦痛は、生きているときでも味わったことはない。生きているなかでもそれなりの苦痛はあったが、こんな体験は一度もない。
 足もとがまた異常に熱くなってきた。もう腰のあたりまで焦げてきたようだ。
「おーい、出してくれーっ」
 無駄とわかっていながら、私は石室の壁を叩きながら叫んだ。叫ぶ声は、吸い込まれるように消え、虚しさだけが残る。ああ、たまらない。もう頭がボーッとなってきた。
「むだだ、もうおしまいだよ」

172ページ
 もう一度叫ぼうとすると、壁のむこう側から声がした。驚いたことに、弟の声だった。
 十年前に自殺した弟が語りかけてきたんだ。
「おい、私だ、ここから出してくれ」
 と叫んだが、
「兄貴、もうあきらめるんだ」
 としか答えてくれない。それから何度も叫んだが、二度と弟の声は聞こえなかった。

「私はいつまでここにいなければならないんだろう、苦しい、助けてくれーっ」
 その言葉を最後に、霊は霊能者の身体から消えてしまった。

引用終了  原文は縦書き

■今思い出してみると過去記事の引用間違いというのは、 渋谷さんを松原さんと書いてしまったことである。
元々過去記事は、はっきりとした引用ではなく、 こうしたらしい という曖昧な言い方になっていた。

 紹介した著書の内容が、もし実話なら、あの世の法則もまったくふざけた話であり、魔界塔士SAGAのようにかみを抹殺してあの世の改革も行わなければならない一大事だが、この本の内容が実話かどうかは、自分にはわからないし、 未だに霊なんていうものが本当に存在するかもまだ 分からない。 
 そういえば、近年は、 テレビでも心霊関連の番組が物凄く少なくなったような気がする。

もしかしたら、霊やら死後の世界というものは、 死を本当の終わりだと思いたくない 人類のはかない希望から生まれたものかもしれないし、 霊を見たという人も 恐らく 嘘ではなく本当に 霊らしきものを見た人も確かにいるとは、思うけど もしかしたら 幻覚かもしれない。

 過去記事でも書いたが、まだ若い頃、元友達らと4人で肝試しに行ったとき、元友達のT(←もうこの人とも2度と会うことはないだろうな。)は、上ノ加江隧道で 青白い顔の男の子を見たらしい。 現地では、何も言わなかったけどそれから何カ月も過ぎてから実は、あの時 青白い男の子を見たと聞いて 怖くなった。 「もちろん自分は何も見なかった。」 ←これ自体は、嘘ではないだろう。 しかし彼は、ただ幻覚を見ただけかもしれない?  

 果たして霊と言うものは、本当にいるのだろうか? それとも 単なる幻覚なのだろうか?
自分は、美少女の霊には、会ってみたいと思う。 
 
 
 
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死語の世界はあるのか?

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合格祈願

 受験などの合格祈願で神社にお参りするのは、効果があるのか疑問だ。

  今の自分は神を信じられなくなって多分これからは、神社や寺でお参りすることもないと思う。

  お参りすれば効果があるのか 小学生の頃から疑問に思ったことがある。

お参りをすれば 受験に効果があるらしいことを言って置きながら  (努力すれば) と言う。
  
  神様にお願いしようが 努力するのは自分 。 だったら お参りなんて意味ないんじゃないか? と小学生のときに思ったことがある。

 確かに 努力するのは自分なんだけど 神様にお願いしたことによって 記憶力が上がる 脳の潜在能力を引き出す 受験のとき 緊張しない。

  これのうちのどれか1つでも 効果がなかったら 神様にお参りする意味なんかないと判断する。
   神社のお賽銭も 神様にお金をあげて意味があるのかも疑問に思うようになった。

  神様に お願いしたにも 関わらず 緊張して 自分の力を発揮できなかったら本当に意味がないだろう。  
  神社に行く時間を  脳を鍛える時間に使ったほうがいいかもしれない?

  御守りももう買わないと思う。  

 しかし神のご利益は迷信であっても 祟りだけはありそうな気がして 小心ながら 御守りに切れることが出来ない。
   機会があれば 今までの御守りを 全部神社で 焚きあげして きれいさっぱり 御守りとさよならしようと思う。


自殺者をけなす者への怒り!!!

 僕は、もう何年も前から自殺者を馬鹿にする奴らが、大嫌いである。

 とりあえず、自殺についてwikipepiaで調べてみた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%AE%BA

一部引用する。
その前に気になることが書いてあった。
<削除提案中
現在、この項目の一部の版または全体について、削除の手続きに従って、削除が提案されています。


 ■はあ? 削除だと?
これも、自殺を 癇に障る(有害呼ばわり)する良い子ちゃん の圧力なのだろうな!!!!

 では、(引用開始)
<現在の日本では、「自殺をすることは良くないことであり、自殺志願者をすべて救おう」とする動きが一般的な理念となっている。しかし、自殺志願者達は既に他人の求めに耳を傾けることができるほどの余裕を持ち合わせていない。したがって、自殺防止を呼びかける人々の「生きていれば必ずよいことがある」、「死ぬ気になれば何でもできる」、「残された家族が悲しみ続けるから家族のために生き続けてほしい」などの励ましは多くの自殺志願者にとって気休めになるどころか、かえって当事者を追い詰めがちになるという厳しい意見がある。(特にうつ病等による心理的疾患から来る自殺願望を持つ人物に対しては、上記の様な励ましの言葉を投げ掛けるのは禁句とされ、むしろ自殺願望を増幅させてしまう)

 ■自殺は卑怯だ だの 自殺は弱い者のすること だという偽善者にも、怒りを感じる。
 また、自殺者を 負け犬 だとか抜かす奴もいる。
負け犬? 犬に失礼な言葉だな。
 それに自殺者をないがしろにしている。

 自殺者は、本当に心が弱いのか?
必ずしもそうではないぞ!!!!  死ぬ勇気もないくせに!! よう簡単に言えるのう!!!
  なかでも、焼身自殺などは、相当な覚悟がないと出来ないぞ!!!
仮に、僕が自殺するにしても、焼身自殺は、絶対にする気はない。
  苦しすぎる!!! 
 確かに、世の中への怒りを主張するのなら、焼身自殺が最も、効果があるのだろうけれど、そうは、言っても僕には、 そこまでの強い精神がない。
 
 また、生きてたらいいことあるという類のなぐさめにも、ならない安易な言葉もいい加減にして欲しい!!

 <生きていれば必ずよいことがある?

■はあ? こういう類の、きれいごとには、本当に反吐が出るねえ!!!!

 生きてたらいいことあるって? それはお前が幸せだから言えるだけだ。  
 ■はっきり言って、なぐさめにもならんぞ!!!
もし僕が、自殺者の立場で、下手な偽善野郎に、「自殺なんてやめましょうよ。 いいことありますよ

 ■僕は、いいことある という類のきれいごとが、許せないのだ!!!!

 なんでいいことあるということが言えるの?
お前は、未来が読める予知能力者なのか!!!?

 もう何年も前のことだが、 なにかのテレビで富士山の樹海で、自殺ようとしている男性の報道があった。

 このときのリポーターの態度には、今思い出しても 怒りを感じる。

 その自殺しようとしている男性は、何年も仕事を探したけどどこもやとってくれなかったらしい?
 生活に苦しんで自殺しようとしているのに、 そのリポーターは、「自殺なんてやめましょうよ。 いいことありますよ」 とか 安易にほざいていた!!!!

 そのリポーターには、恐らく予知能力も超能力もないであろう?
予知能力がないにしろ 最低でも「仕事がないんなら、うちのテレビ局のスタッフとして働いたらいいじゃないですか。」
 とその仕事が出来なくて困っている男性を、テレビ局のスタッフとして雇うなど、なにか行動に移すのなら、まだ分かる。
 
しかし、男性を助けることなど、実際にしないくせに、ただ安易に口だけで「自殺なんてやめましょうよ。 いいことありますよ」 というのは、ただの思い上がりでしかないし  見下しているとしか思えない。


 自分は金があって、幸せな奴なんかに、自殺やめましょう。いいことある。 とか言われたら、 なぐさめにならないどころか、  見下している ようにしか見えない!!!

 言うだけは簡単!!

 僕自身は、自殺者をなぐさめる自信などない。
反対に、自殺を応援したほうが、なぐさめになるだろう。

 とにかく怒りを感じる!!!

 金があって、幸せな奴なんかに、いいことある とか安易に言われたくない。
 見下しているのか!!!!!!

 そういう見下す偽善者なんか、金属バットで悶絶するほど、腹をぶん殴ってやりたいほどの憎しみを感じる!!!!!!

 

 

鋸山で起こった高校生による自殺

 自殺者が語る死後の世界  (表紙)

 2001年の1月、たまたま古本屋で買った 自殺者が語る死後の世界 を読んでから、ずっと気になってた自殺事件を思い出した。

 昭和48年千葉県にある鋸山の山頂からひとりの高校生が飛び降り自殺をするという事件があったらしい。
 
 高校生の自殺の目的は、自らの死によってほんとうに霊が存在しているかどうかを確かめようとしたものだったらしい。
 当時は、話題になったらしい。

 現在の若い人でこの事件を知る人は殆どいないだろう。

僕も2001年の1月になるまで知らなかった。
 これまで何度かのこぎり山 自殺などで検索したこともあるけど ネット上で見つけることができなかった。

 しかし今日、それらしきHPを見つけた。
(引用開始)http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199807.html
死後の世界へ体験自殺
  千葉県阿房郡に住む高校1年生から、毎日新聞社に一通の遺書が届いた。それには「死後の世界の存在を確認するために死んでみることにしました」とかかれていた。新聞社はすぐに手配をしたが、千葉県富津市金谷の鋸山山頂から飛び降り自殺をしたあとだった。(1973.4.17)
(引用終了)


 この記事で間違いないだろう。
中岡俊哉氏は、この高校生の行為は、正しいとは思わないけど真剣な行為だと思ったらしい。
 また、氏は高校生のことがいつも気になったらしくこれまで50人の霊能者に合計200回近く招霊を依頼したそうだが、遂には、一度も招霊をすることができなかったそうだ。

 彼は、霊界はもちろんのこと幽界にも行ってないらしい?
 まあ僕から見たら霊界と幽界の違いも分からないけど

彼は霊の存在を実証するどころか、彼の霊(エクトプラズム)は肉体から離体することができなかったうえ、肉体とともに四散してしまったということらしい?

 いいかもしれないね。
あの世からもこの世からもいなくなるんだろ?
喜びはもちろん苦しみもなくなるそれこそ自分の意識は完全に消え去ってしまったということか?

 ノンレム睡眠が永遠に続くということだろ?

 だったら自殺したい人にとっては、好都合かもしれないね?
死にたくなった。 でも地獄に行きたくない。
 だったら、自分のエクトプラズムをばらばらにすればいいのか?

 
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