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いじめは黙認されている

 2006年の9月以降こと安倍政権になってから特に毎日のようにワイドショーを中心にイジメ報道が大々的に報道されるようになった。

 ワイドショーのコメンテータこと評論家達は、もう正義感丸出しの態度でいじめ許さんなどと熱く語っていた。

 特に朝ズバの司会のみのもんたの正義感は、正義の勇者?らしかった。
 
 しかし彼らは、本気でいじめ許さんと思っているのか疑問に思ってしまう。

 いじめの定義は、人によって違うし、最近では、文部科学省は、いじめの定義を拡大した。

 (引用)
◎ネットで中傷もいじめ例に追加 文科省の調査見直し
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070111-00000031-san-soci
いじめ調査の見直し作業を進めている文部科学省は10日、
インターネットや携帯電話での誹謗(ひぼう)中傷も「いじめ」としてとらえる
方針を明らかにした。
これまで公立小・中・高を対象に行ってきたいじめと自殺の調査も、
平成18年度分から国立、私立にも拡大する。

文科省によるいじめの定義は現在、
(1)自分より弱い者に対して一方的に
(2)身体的・心理的な攻撃を継続的に加え
(3)相手が深刻な苦痛を感じているもの-となっている。
これらについては「一方的」「深刻」などの文言が抽象的で、
「教育委員会や学校の解釈にバラツキが生じた」(児童生徒課)と判断し、
修正する方向で定義を見直す。

さらに、現行では「言葉での脅し」「冷やかし」「仲間はずれ」「集団による無視」
などを挙げているいじめの例に、「インターネットや携帯での誹謗中傷」などを
追加する。(1月11日8時0分配信 産経新聞)
(引用終了)


 所詮世の中なんでも(定義しだい)で何がそうだとか何がそうでないかは、決まると思う。
 行政の定義次第でこれはいじめでこれはいじめでないと定義されるだから

 例えば犯罪者が逮捕されて逮捕された犯罪者が実名で報道されるとする。
 考え方によっては、これもいじめとして判断することが出来ると思う。
 世間一般から見たら犯罪を犯したのだから、実名報道されても当然だ、と思う人は、多いがやはり考え方次第ではこれもいじめだと思う人も少なからずいることだろう。

 ということは、結局は、許せるいじめと許せないいじめがあるような気がする。

 これを書いてる僕だって全てのイジメを否定してはおらず、許せないいじめと許せるいじめがあると思っているような気がする。

 僕も人と違うからというだけで集団で独りを無視したり殴る蹴るなどの暴力などによるいじめには、反対だが、犯罪者の家族というだけで集団で独りをいじめるような連中を虐待したいと願望を持っていたりもする

 近年、ニートという言葉が流行しているが、人をニートとして分類して叩くのもいじめではないか。
 ニートと言えばなまけもののようなイメージがあるけど、これは正確ではないらしく本来ニートと呼ばれる人の中にも求職者はいるらしい。
 
ニートという言葉は、イギリスから発祥したらしい。
「Not in Education Employment or Training」を略してカタカナ表記にした言葉だそうだ。
 日本では行政や悪を叩く正義の「勇者国民」たちに都合のいいように使われていてムカっ腹が立つ

 イギリスの「NEET」は失業者を含むのに対して、日本の「ニート」は失業者を含んでいない15から34歳という幅広い年齢を対象としている。  



あとワイドショーは、ほぼ毎日のように誰か人を叩いたりしているし、世間一般の方々もワイドショーを見て犯人を叩いたりしている。
 特に正義間の強い主婦連中たちは、人を叩くのをいきがい にしているようにすら見える。

 まあ悪を叩くのは気持ちがいい からね。 
 そういう感情は、僕にもないと言えばウソになる。 多かれ少なかれ世の中の大半の人にあると思う。

 世の中で いじめは、黙認されているとはっきりと断言する。
 世の中で多数派と少数派がいて少数派は、おかしいとか異端者としてみんなで白い目でみたりすることのどこがいじめでないといえるのだろうか? 
 それともこれはいじめではなく 正義の非難とでも言いたいのだろうか?

第二次世界大戦時代、戦争反対を主張した少数派の人は、非国民、戦争に反対して恥ずかしくないのかね  と叩かれてたそうだが、これもれっきとしたいじめであると僕は思う。
 左利きと右利きでは右利きが圧倒的に多い。
箸を左手で持つのは行儀が悪いと昔はクソ先公に殴られた人もいると聞いて僕は、もしタイムマシンがあればその左利きをないがしろにしやがったクソ先公を左手で叩きのめしてやりたい。 と思った。
 多数派と少数派がいて少数派はおかしいと白い目で見ることが公然と行われている時点でいじめは黙認されているとはっきりといえる。
 僕は左利きを優遇しろとは言わないが、左利きも右利きも困らないようにしろと言いたい。
 ただ左利き差別は昔よりは多少はましになった気もする。

 いじめっていうものは、世の中で多数派と少数派がいて数が多い方が有利だから、数が多い方が数の少ない方を力で負かして、少数派をおかしいとか言って叩くというものだといってもいいだろう。



 ワイドショーを中心としたマスゴミにとって悪は、必要ではないだろうか?
 犯罪者という悪がいるおかげで、彼らはそれを叩く商売が出来るのだから。
  ワイドショーや主婦連中たちは、常に誰か叩く対象「批判対象」を探しているように見えるのは、僕だけかい?


 加筆修正予定 書きかけ記事



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有害図書(呼ばわり)

有害図書とは、各都道府県の青少年条例によって「有害図書」として指定されると18歳未満に販売してはならなくなり販売すると罰金刑などに処されてしまう。
 唯一東京都のみ「不健全図書」として不健全呼ばわりしているが、有害も不健全もどちらも表現物をないがしろにする癇に障る言葉である。

 人が一生懸命書いた本をお前ら自称善人が気に入らんからと言って有害呼ばわりしやがって、こちらから言わせてもらえば表現を規制するお前ら自称善人の存在こそ有害である。

ブログ更新が進んでいない

 今は、22時20分くらいの時間。
もうすぐで月曜になり明日からまた仕事。

 この週末は、ブログ更新を殆どさぼってしまった。

僕は、知識をつけるためにこの週末は、久しぶりに読書をしていた。
 20代前半の頃は、「速読」と言って一冊の本を数分で読むことに憧れた時期もあったが、あれから約5年が経ち結局20代後半になった今でも「速読」など習得できていない。
 僕は、頭が固くわざわざ難しく物事を考えるくせがあり、特にこの数年間の間は、理解力が悪くなっているような気がする。
 速読を習得できていないどころか、長い文章は、読む気が失せたりしていた。
 速読を習得してから読めばいいやと思いながら20代も後半が来てしまい、速読が習得できないどころか長い文章から逃げていたような気がする。
 速読など僕に習得できるのだろうか?
速読を練習するパソコンソフトを1年前の今頃買ったけど結局、速読など習得できず、理解力は、反対に20代前半の頃に比べて衰えている気がする。

 僕には、速読を習得するのは、まだ速いようだ。
今は速読など後回しにしてまずは、若い頃のように長い文章を時間をかけて読むことが出来たように理解力、記憶力、集中力、読解力を鍛えるのが先だと思う。
 速読は、後でも構わない。
 僕は、まずは、理解力や読解力が必要だ。

脳を楽に鍛えたい。

ブログ一周年

そういえばこのブログが出来てもう一年になるな。

 思ったよりもブログが進んでいない。
やはりこの1年も僕にとって大していいことがなかった。
 相変わらず年々表現の自由や言論の自由が危なくなっている。

 あとどのぐらいこの日本で政府の悪口を合法的に言えるかも分からない。
 どんなに反対運動しようと与党の「数の暴力」で教育基本法改悪が、ほぼ審議されずに強行採決されてしまったように
 ますます日本がやばくなっていることが分かる。

 またネット上での中傷も裁判所の礼状なしで、市名公表されようともしている。
 最後の砦のインターネットの自由まで奪われたらおしまいだ。

 テレビや新聞は、相変わらず政府に都合の悪い情報は、まともに報道しない。
 既にテレビや新聞は、政府に統制されているといえるだろう。
唯一インターネットだけは、自由が残っているが、共謀罪などが成立してしまえば、日本も中国のように政府の悪口を言っただけで逮捕される世の中になってしまいかねない。

 ブロバイダー責任制限法の改悪も非常にやばい。
一応2月9日までに僕も反対意見を出すつもりだがこれも教育基本法のようにまともに審議されず「数の暴力だけ」で強行採決されないか心配だ。

 「プロバイダ責任制限法 発信者情報開示関係ガイドライン(案)」に係る意見募集について
http://www.telesa.or.jp/consortium/provider/2007/20070110.htm

(4)意見提出期限
 平成19年2月9日(金)正午

(5)意見提出上の注意
 寄せられた御意見については、氏名等を含め、公表することがあります。また、御意見に対して個別に回答はいたしかねますので、その旨御了承願います。

<問い合せ先>
 協議会事務局(社)テレコムサービス協会内
                     担当:矢上
 TEL:03-3597-1092/FAX:03-3597-1096


■相変わらずこの僕のブログが進まない。
 どうしても文章の書き方に悩んでしまい立ち止まり、前に進まない。
 このままじゃあいかんのは、分かるけど

しかし何回も文章の書き方で悩みながら一向に前に進まずこのブログをつくってからはや、一年が過ぎてしまった。
 時間の流れは、本当に残酷だな。 出来ることなら20数年間の記憶を持ったまま10代から人生をやり直したいと思う。

 本当にこのブログは、なぜ進まない。
やはりとにかくブログを書くくせをつけることが大切かもしれない。
 これからは、似たような記事を書くかもしれないが、ご了承いただきたい。
 後で、ブログを読みやすいように修正すればいいのだから
あれ?これ前も似たような書かなかったかな? しかし文章の書き方を細かくこだわってる場合ではないのかもしれない。

 本当に僕は、前に進まない奴だな。 自分でも分かっているつもりではあるが

自分本位で悪いか?

 僕自身は、自分中心で生きている。
これを聞くと正義ヅラした人は「このジコチューがあ!」と怒るかもしれないが、これのなにがおかしいのか謎に思う。

 2000年ごろ「ジコチュー」という言葉が流行したもちろん2007年現在も普通に使われている。

 ジコチューという言葉は「自己中心的」を省略した言葉だから「自己中心的」を国語辞典で調べると「自分と自分以外のまわりの世界とを区別できない性質。また、自分本位に物を考えるさま。」
 
 自分と自分以外のまわりのせかいとを区別できない性質かどうかは、一応それくらいは区別できてるつもりだが。
 それは置いて「自分本位」についてこれは、世の中の殆どの人間「90パーセント以上の人間」は「自分本位」で生きているのではないだろうか。

 殆どの人間が人よりも自分の方が大切であるはずである。
当然僕自身は、人のことよりも自分の方が大事である。
 これは、僕に限らない。

 僕は、自分を犠牲にしてまで人を助けたいとは思わない。

 自分本位は、最低とか言ってくれる人は自分の命よりも人の命の方が大切だというのであろうか? 

 はっきり言って、自分本位を否定できるほど偉い人は、世界にも数えるほどしかいないと思う。

 その否定できるほど偉い人と言えば、昔、アメリカで飛行機の墜落事故が起こったとき、自らの危険を顧みず赤の他人のために川に飛び込んで人の命を救った男「ロジャー・オリアン」や救助のロープを最後まで他人に譲り続けた男「アーランド・ウィリムズ」ぐらいしかいないのではないだろうか?

 2003年の11月僕は、「特命リサーチ200x」と言う番組を見ていた。
 昔、1982年の1月13日、この日のワシントンDCは、その冬で一番の寒波に閉じ込められていた。ワシントン・ナショナル空港では、フロリダのタンバに向かう「エア・フロリダ90便」が機体の除雪作業を終え、管制塔からの離陸許可を待っている。出発予定時刻から遅れること1時間40分。16時ちょうどに90便は離陸した。悲劇はその1分後に起こる。

 離陸直後、左右の翼が大きく揺れたかと思うと機体はそのまま失速。エア・フロリダ90便は、高度が上がらないままポトマック川に架かる14番ストリートブリッジに接触し、渋滞していた車6台を巻き込みながら極寒の川に墜落。川面は見渡す限り分厚い氷に覆われ、機体はほとんどが水没。 衝撃の大きさから考えて、乗客乗員79名の安否は絶望と思われた。しかし、奇跡的に6名の生存者が水面に浮かび上がってきた。その中の一人が、銀行監察官のアーランド・ウィリアムズ

 即死は免れたが、6人とも複雑骨折などの重傷を負っていた。水温は0℃。ウェットスーツなどあるはずもなく、救命胴衣を身に着ける暇もなかった。 一般的に人間が0度の水温に耐えられる限界は20から30分とされている。しかし、この場合では全員が薄着でしかも重傷を負っている。生存限界時間は20分とされていた。

 しかし現実は追い討ちをかける。事故当日は強い寒波とふぶきのためワシントン全市の交通が麻痺。通常であれば4分で到着するはずの救助隊が、実際は現場到着に11分もかかってしまった。さらに、6人が取り残されている場所は岸から30メートルと遠く、何回もロープを投げてもむなしく放物線を描くだけだった。暑く覆われた氷のため、救助バーとはなんの役にも立たない。現場に辿り着いた救助隊は、凍てついた川面に浮かぶ6人に励ましの声をかけるしかなかったのである。


しかし、その時、彼らの命を救いたいと、自分の命を顧みず川に飛び込んだ男がいた!

それは、板金工のロジャー・オリアンだった。橋の上から生存者のいる場所を目指して極寒のポトマック川を必死に泳いだ。しかし、生存者がいる場所の寸前で付けていた命綱が足りなくなってしまった。だが、ロジャーは岸に引き返そうとせず、その場に留まり生存者たちを励まし続けたのである。

 事故発生から20分後の16時21分、あせりと絶望が入り混じった現場に一機のヘリコプターが到着した。悪天候にもかかわらず、決死の覚悟で救助に向かったアナコスティア公園警察のパトロールヘリである。
 ヘリの到着を見て、ロジャーは自力で岸まで戻った。ロジャーの励ましの声が、生存者たちをどれだけ力づけたかしれない。彼は間違いなくこの事件のヒーローだったのである。
 しかし、救助用のヘリではないので救命器具は一切装備していない。6人一人一人をロープで吊り下げ、岸まで運ぶほかに手立てはなかった。

 ヘリの隊員はまず一番衰弱が激しかった男性会社員の救出から開始した。その男性を無事岸まで運ぶと、隊員は次に衰弱の激しかったウィリアムズに向かってロープを降ろす。ところがウィリアムズはロープを傍らの客室乗務員に手渡し、救出の順番を譲ったのである。

 客室乗務員を助け出し現場に戻ったへりは、再びウィリアムズの目の前にロープを降ろす。しかし、彼は、またしてもロープを別の会社役員の男性に渡してしまう。その様子をヘリから見ていた隊員は、予備のロープを再度ウィリアムズに向かって放り投げた。 しかし彼はそのロープを引き寄せると、今度は別の女性に渡してしまう。

 こうしたことが幾度となく続き、墜落現場にはとうとうウィリアムズ一人だけが取り残されてしまった。生き残った6人のうち5人を救出したヘリは、最後の生存者ウィリアムズのもとに向かう。しかし、隊員がいくら目をこらしても彼の姿はどこにもなかった。


 ウィリアムズの検視結果は溺死と発表された。大量に飲み込んだ水は、彼の意識が最後の最後まで鮮明であったことを物語っている。


 救助ヘリの隊員ジーン・ウィンザーは自分の無事を妻に電話で伝えた後、ウィリアムズのことを話そうとしたが言葉にならずその場に泣き崩れた。当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンは、ウィリアムズの英雄的行為を賞賛する演説を行い、人命救助をたたえる勲章を授与した。
 そして、墜落現場となった14番ストリートブリッジは、現在では 「ウィリアムズ橋」とその名を変えている。



 もし仮に僕がウィリアムズだとしたら人にロープをゆずるなんて出来ない。それどころか、他人に向けて降ろされたロープを横取りしてしまうかもしれない。
 やはり僕自身は、「自分本位」であるから決してウィリアムズのように自分を犠牲にしてまで他人を助けるなんていう気はない。
 もちろんロジャーのように赤の他人のために危険を顧みず河に飛び込むなんて僕には、まねできない。
 もし僕がロジャーだったら、せいぜいロープを探して投げ込んだり、浮き輪を投げたり、あるいは消防署に電話したり、人が水に浸かって体温を奪われて死にそうなんです。誰か助けてやってくださいと人を呼んだりすることであろう。
 それ以上のことは出来る自信がない。


 人のことを軽々しくジコチューなどと非難する人間は、ウィリアムズのように他人のために自分を犠牲にすることなど出来るであろうか?
 僕は、そう言う人は本当に世界でも数えるほどしかいないと思う。

 僕みたいな「自分本位の人間」を非難できる人は、今回話したウィリアムズや自分の危険を顧みず河に飛び込んだロジャー・オリアンくらいだろう。
  ウィリアムズやロジャーのような人間は本当にごく一部の人だと思う。 
 まさしく彼らは、ジコチューどころか自分本位でもないといえるどころか、特に最後まで他人にロープを譲り続けたウィリアムズは、ジコチューでないどころか「自分よりも他人を大切にする人」と言っても決して過言ではない。

 2003年の11月当時の僕は、テレビでこのウィリアムズのことを知ったとき酒が入っていたのもあるけど涙が出そうになった。
 皮肉抜きで真面目に言って彼は英雄であると思う。

 世の中の殆どの人間は、ウィリアムズの真似はできないだろう。
やはり僕を含めた世の中の殆どの人間は、

 人のことよりも自分が大切。
 自分の身が可愛い。 
 他人よりも自分が助かりたい。
と思う人が圧倒的に多いだろう。

 やはり結局は、殆どの人間は、多かれ少なかれ「自分本位」であることは否定できない。
 これは、自然なことであり仕方ないと思う。
 大分前から僕は、いつか本を出したときこのことも書きたいと思っていた。「しかし相変わらず出版費がないのでとりあえずブログに記事を書いた。」
 また軽々しく人を「ジコチュー」とか自分は正義のような態度で見下すようにわかったようなことを言う人に腹が立って僕の思いを記事にしたいと思っていた。
 今回この記事を書くために以下のホームページとブログを参考にさせていただいた。
http://www.ntv.co.jp/FERC/research/20031102/kiseki009.html
http://fence.jugem.cc/?eid=39

 しかしこれらのHPやブログを参考にしてなかったら僕は間違った記事を書くところだった。
 僕の記憶では今回話したウィリアムズが河に飛び込んで最後までロープを譲り続けたと記憶していたのだが、どうやら僕の記憶違いだったようだ。 やはりあのときの僕は、酒が入っていたからな。 このウィリアムズのことを親に話したことがある。 「世の中の殆どの人間は多かれ少なかれ自分中心よ。 自分中心を非難できるのはウィリアムズぐらいよ。」と言ってウィリアムズのことを親に話したことがある。
 すると親は、ウィリアムズと名前は覚えていないみたいだけど「そういえば昔ニュースで見たことがある。あの人は最後までロープを譲りよった。」と飛行機事故で最後まで他人にロープを譲っていた英雄(真面目)のような人を覚えていたみたいだ。

 
しかし、そうは言っても人間にはやさしさというものがあると思う。
これは、必ずしもきれいごととは限らない。
 ボランティアの強制などはただの偽善、偽善の押し付けにしか見えないが、助け合いだって全部がきれいごとではないと自身を持って言いたい。
 人間殆どはたとえ自分本位ではあっても、自分は、大切なのは当然としても人のことも考えることが出来るということが人間のやさしさであると個人的には思う。

 自分のことしか考えることが出来ないのが問題であって、自分が一番大切でありながらも他人のことも考えるということは、人間として大事なことだとも思う。

 人間は、生きている限り多かれ少なかれ誰かに迷惑をかけることはある。
 しかし、時には助け合うこともある。
 人のお陰でたすかることだってある。

 僕は、やさしさや助け合いの全てを偽善とは言いたくない。 
 あのときあの人のおかげで助かったということは、世の中にはある。

警察権限の拡大

<児童虐待防止法>改正案に「親責任」導入 与野党が一致
(毎日新聞 - 01月09日 03:10)
 07年に予定されている児童虐待防止法改正について、各党を代表して協議している超党派の勉強会が、親権の前提として「子どもを養育する責任」があるとする「親責任」の考え方を、改正案に盛り込むことで大筋一致した。民法の親権規定が、虐待されている子どもへの対応を遅らせるケースがあることに配慮。親権に対する新たな概念を導入することで、家裁の親権喪失宣告や親権代行者を立てる保全処分、児童相談所による立ち入り調査をしやすくする。【平元英治】

 協議しているのは「児童虐待防止法見直し勉強会」(幹事・馳浩自民党衆院議員)で、それぞれ党内手続きを経たうえで、25日召集の通常国会に議員立法で提出する。

 同法は00年成立し、04年に一部が改正された。この際、公的機関による子どもへのケアを容易にするため、虐待を行う親の親権を「一時停止および一部停止」する制度の導入が議論されたが、民法がネックとなり実現しなかった。

 民法は「成年に達しない子は父母の親権に服する」(818条)と規定している。親権の一時・一部停止を実現するには民法改正が必要だが、改正の際は法制審議会(法相の諮問機関)で数年かけて審議するのが通例で、04年の児童虐待防止法改正では「3年後をめどに見直す」と議論を先送りした。現在も民法見直しの動きはない。

 親責任は、こうした状況を受け浮上した。89年に英国が児童法に取り入れた「親が責任を果たしている限り、子どもに対して権利を有する」との法概念で、状況に応じた親権の制限を目的としている。勉強会は日本でも民法の範囲内での対応が可能と判断、厚生労働省の雇用均等・児童家庭局も「児童虐待防止法に盛り込まれれば、数年かかる親権喪失宣告や最短でも1週間前後かかる保全処分が早く行われる」と期待を示している。

 例えば、児童相談所が家裁に保全処分を申し立てた場合、家裁は親から事情を聴く「審尋」を経たうえで判断するのが通例。勉強会メンバーによると、親責任を導入すれば、緊急措置の保全処分は審尋なしで認容される可能性が高く、事態への対応をより迅速に行えるようになるという。

 一方、児童虐待への警察関与について、自民党は「親責任をテコに、住居への強制立ち入りなど関与のルール作りを進めるべきだ」と主張しているが、野党は「憲法が定める捜査の令状主義を侵す恐れがある」と難色を示しており、引き続き協議する。

 全国の児童相談所での児童虐待に関する相談件数は90年度には1101件だったが、以後年々増加。05年度には90年度の31倍に当たる3万4472件に達している。

■ネットを見てたらこれに賛成してる奴が多くて世の中捨てたものだと思った。
 もちろん子供を虐待してはならないのは当然だ。
しかし、これは悪用される危険性もある。
 例えば、あの家庭では虐待がありますよ。とウソの通報をして警察が強制立ち入りしようとして拒否するとその親が逮捕されたり

これは気に入らない人間を社会的に抹殺することに使えそうだ。

2004年時点で「虐待の恐れがあるだけで通報しなければならない」と改定されてるんだからこれで十分だと思うが、まだ物足りないのか?

 警察権限を拡大するだけのような気がする。

 子供の虐待はやってはいけないから子供を育てる気のない人は僕のようにいちいち結婚しなければ済むことなのに
 しかし軽々しく子供を育てる気がないくせに生んで小さい子を殴ったり蹴ったりする馬鹿親にも腹が立つ。
 最初から生むなよ。
 子供を育てる力もないのに、子供を生む人にも腹が立ったこともある。
 
 加筆修正予定

東北

2007年が来てしまいました。
 新年が来たといってもあまりめでたい気分ではないですが、あけましておめでとうございます。
 
 今年は、去年以上に権力の乱用を無視できない年になります。

政治の話は一旦置いて2006年大晦日の早朝から、宮城県を目指して高速道路を飛ばしました。「80キロ規制なんて守るか!!」

 中央、長野、関越自動車道を走りました。
岐阜県と長野県を結ぶ約8.5キロある恵那山トンネルよりも長い自動車トンネルとしては、日本最大の関越トンネル約11キロを初めて通りました。
 今年は暖冬ですが、関越トンネルを抜けると新潟県に入り、新潟県は暖冬とは言え、真っ白な雪景色でした。
 このまま楽に東北に行けると思いきや甘かったです。
 どうやら日本海側は高速道路がつながっていないようですね。

中条インターが終点で仕方なく7号線をずうっと走りました。
 山形県に入りました。 僕にとって全く初めての東北地方でした。
東北は、公共交通機関ですら一度も足を踏み入れたことがありませんでした。
 山形県の112号線も雪景色でした。
途中高速道路に入り宮城県の仙台市で降りました。
 仙台をうろつきました。

正月なのか、48号線で何度か渋滞にはまりました。
初詣で、路上駐車しているクルマも何台か見ました。

2日目、国道48号線を通り心霊スポットとして東北では有名な「関山トンネル」を通りました。
 僕は前からこの関山トンネルが気になっていました。
中学のとき一回テレビで見て以来ずうっと気になっていました。
今のトンネルでも女の人の霊が出るらしいのですが、この関山峠の旧道がもっと恐いらしいです。
 宮城県側は、不気味な鉄格子で封鎖されているようです。
僕はクルマを停めて旧道に行こうとしたのですが、雪が深くて歩いてて身体が暑くなり諦めました。
 後でその僕が行こうとした道は関山峠の旧道でないことに気が付きました。
 旧道の関山トンネルについては、こちらのホームページで写真を見ることが出来ます。
 トンネルを封鎖する鉄格子は不気味です。
僕だったら、この鉄格子を生で見たらびびりそうです。
 九州の福岡県の犬鳴き峠にもトンネルがありその犬鳴き峠の旧道にも廃道のトンネルがあるみたいですがはっきり言って旧の関山トンネルは、旧の犬鳴きトンネルよりも恐いと思います。
 この鉄格子の不気味さには、犬鳴きトンネルも敵わないでしょう?

リンク先
http://mx11.hp.infoseek.co.jp/link2.htm

 僕は少年時代から霊に興味がありますが、未だに一度も見たことがありません。
 現実世界で本音を話せる友達が出来なかったら本音を話せる霊の友達が欲しいと思います。
 また、社会的に抹殺されて自殺に追い込まれた人の霊は、政治屋たちを呪い殺して欲しいと思います。

 帰りは新潟県まで高速は使わず48、112、7号線を使って新潟県まで戻りそこから高速道路を使って無事帰りました。

 途中長野自動車道で眠くなり恐かったです。
眠くなったら迷わずPAやSAでクルマを停めて寝るに限ります。

 東北といっても暖冬のせいなのかそんなに寒くなかったですね。
山形や宮城県でも昼間は5度とかとても真冬日ではなかったです。

去年の四国の高知県の梼原町の方が寒かったと思います。
 
 適当に東北の写真を貼ります。
それでは48号線

48号線

48号線

山形県 さかえダム周辺

さかえダム周辺

さかえダム

さかえダム

107000キロ達成


 今回の長距離ドライブで僕のボロイ愛車は走行距離が107000キロを達成しました。
 本当に100000キロ超えたからといってすぐに廃車にするという考えを改めていただきたいです。

仙台市内

仙台市 48号線 正月なのか渋滞にはやられた

仙台市 R48

48号線 暖冬の影響なのか雪が少ない

関山峠に近付くにつれようやく雪景色になってきた

心霊スポット? 関山トンネル 宮城側入り口

関山トンネル 出口 山形側

関山トンネル山形側入り口周辺 暖冬で、2度と気温は高め 

関山トンネル 山形側入り口