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自分本位で悪いか?

 僕自身は、自分中心で生きている。
これを聞くと正義ヅラした人は「このジコチューがあ!」と怒るかもしれないが、これのなにがおかしいのか謎に思う。

 2000年ごろ「ジコチュー」という言葉が流行したもちろん2007年現在も普通に使われている。

 ジコチューという言葉は「自己中心的」を省略した言葉だから「自己中心的」を国語辞典で調べると「自分と自分以外のまわりの世界とを区別できない性質。また、自分本位に物を考えるさま。」
 
 自分と自分以外のまわりのせかいとを区別できない性質かどうかは、一応それくらいは区別できてるつもりだが。
 それは置いて「自分本位」についてこれは、世の中の殆どの人間「90パーセント以上の人間」は「自分本位」で生きているのではないだろうか。

 殆どの人間が人よりも自分の方が大切であるはずである。
当然僕自身は、人のことよりも自分の方が大事である。
 これは、僕に限らない。

 僕は、自分を犠牲にしてまで人を助けたいとは思わない。

 自分本位は、最低とか言ってくれる人は自分の命よりも人の命の方が大切だというのであろうか? 

 はっきり言って、自分本位を否定できるほど偉い人は、世界にも数えるほどしかいないと思う。

 その否定できるほど偉い人と言えば、昔、アメリカで飛行機の墜落事故が起こったとき、自らの危険を顧みず赤の他人のために川に飛び込んで人の命を救った男「ロジャー・オリアン」や救助のロープを最後まで他人に譲り続けた男「アーランド・ウィリムズ」ぐらいしかいないのではないだろうか?

 2003年の11月僕は、「特命リサーチ200x」と言う番組を見ていた。
 昔、1982年の1月13日、この日のワシントンDCは、その冬で一番の寒波に閉じ込められていた。ワシントン・ナショナル空港では、フロリダのタンバに向かう「エア・フロリダ90便」が機体の除雪作業を終え、管制塔からの離陸許可を待っている。出発予定時刻から遅れること1時間40分。16時ちょうどに90便は離陸した。悲劇はその1分後に起こる。

 離陸直後、左右の翼が大きく揺れたかと思うと機体はそのまま失速。エア・フロリダ90便は、高度が上がらないままポトマック川に架かる14番ストリートブリッジに接触し、渋滞していた車6台を巻き込みながら極寒の川に墜落。川面は見渡す限り分厚い氷に覆われ、機体はほとんどが水没。 衝撃の大きさから考えて、乗客乗員79名の安否は絶望と思われた。しかし、奇跡的に6名の生存者が水面に浮かび上がってきた。その中の一人が、銀行監察官のアーランド・ウィリアムズ

 即死は免れたが、6人とも複雑骨折などの重傷を負っていた。水温は0℃。ウェットスーツなどあるはずもなく、救命胴衣を身に着ける暇もなかった。 一般的に人間が0度の水温に耐えられる限界は20から30分とされている。しかし、この場合では全員が薄着でしかも重傷を負っている。生存限界時間は20分とされていた。

 しかし現実は追い討ちをかける。事故当日は強い寒波とふぶきのためワシントン全市の交通が麻痺。通常であれば4分で到着するはずの救助隊が、実際は現場到着に11分もかかってしまった。さらに、6人が取り残されている場所は岸から30メートルと遠く、何回もロープを投げてもむなしく放物線を描くだけだった。暑く覆われた氷のため、救助バーとはなんの役にも立たない。現場に辿り着いた救助隊は、凍てついた川面に浮かぶ6人に励ましの声をかけるしかなかったのである。


しかし、その時、彼らの命を救いたいと、自分の命を顧みず川に飛び込んだ男がいた!

それは、板金工のロジャー・オリアンだった。橋の上から生存者のいる場所を目指して極寒のポトマック川を必死に泳いだ。しかし、生存者がいる場所の寸前で付けていた命綱が足りなくなってしまった。だが、ロジャーは岸に引き返そうとせず、その場に留まり生存者たちを励まし続けたのである。

 事故発生から20分後の16時21分、あせりと絶望が入り混じった現場に一機のヘリコプターが到着した。悪天候にもかかわらず、決死の覚悟で救助に向かったアナコスティア公園警察のパトロールヘリである。
 ヘリの到着を見て、ロジャーは自力で岸まで戻った。ロジャーの励ましの声が、生存者たちをどれだけ力づけたかしれない。彼は間違いなくこの事件のヒーローだったのである。
 しかし、救助用のヘリではないので救命器具は一切装備していない。6人一人一人をロープで吊り下げ、岸まで運ぶほかに手立てはなかった。

 ヘリの隊員はまず一番衰弱が激しかった男性会社員の救出から開始した。その男性を無事岸まで運ぶと、隊員は次に衰弱の激しかったウィリアムズに向かってロープを降ろす。ところがウィリアムズはロープを傍らの客室乗務員に手渡し、救出の順番を譲ったのである。

 客室乗務員を助け出し現場に戻ったへりは、再びウィリアムズの目の前にロープを降ろす。しかし、彼は、またしてもロープを別の会社役員の男性に渡してしまう。その様子をヘリから見ていた隊員は、予備のロープを再度ウィリアムズに向かって放り投げた。 しかし彼はそのロープを引き寄せると、今度は別の女性に渡してしまう。

 こうしたことが幾度となく続き、墜落現場にはとうとうウィリアムズ一人だけが取り残されてしまった。生き残った6人のうち5人を救出したヘリは、最後の生存者ウィリアムズのもとに向かう。しかし、隊員がいくら目をこらしても彼の姿はどこにもなかった。


 ウィリアムズの検視結果は溺死と発表された。大量に飲み込んだ水は、彼の意識が最後の最後まで鮮明であったことを物語っている。


 救助ヘリの隊員ジーン・ウィンザーは自分の無事を妻に電話で伝えた後、ウィリアムズのことを話そうとしたが言葉にならずその場に泣き崩れた。当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンは、ウィリアムズの英雄的行為を賞賛する演説を行い、人命救助をたたえる勲章を授与した。
 そして、墜落現場となった14番ストリートブリッジは、現在では 「ウィリアムズ橋」とその名を変えている。



 もし仮に僕がウィリアムズだとしたら人にロープをゆずるなんて出来ない。それどころか、他人に向けて降ろされたロープを横取りしてしまうかもしれない。
 やはり僕自身は、「自分本位」であるから決してウィリアムズのように自分を犠牲にしてまで他人を助けるなんていう気はない。
 もちろんロジャーのように赤の他人のために危険を顧みず河に飛び込むなんて僕には、まねできない。
 もし僕がロジャーだったら、せいぜいロープを探して投げ込んだり、浮き輪を投げたり、あるいは消防署に電話したり、人が水に浸かって体温を奪われて死にそうなんです。誰か助けてやってくださいと人を呼んだりすることであろう。
 それ以上のことは出来る自信がない。


 人のことを軽々しくジコチューなどと非難する人間は、ウィリアムズのように他人のために自分を犠牲にすることなど出来るであろうか?
 僕は、そう言う人は本当に世界でも数えるほどしかいないと思う。

 僕みたいな「自分本位の人間」を非難できる人は、今回話したウィリアムズや自分の危険を顧みず河に飛び込んだロジャー・オリアンくらいだろう。
  ウィリアムズやロジャーのような人間は本当にごく一部の人だと思う。 
 まさしく彼らは、ジコチューどころか自分本位でもないといえるどころか、特に最後まで他人にロープを譲り続けたウィリアムズは、ジコチューでないどころか「自分よりも他人を大切にする人」と言っても決して過言ではない。

 2003年の11月当時の僕は、テレビでこのウィリアムズのことを知ったとき酒が入っていたのもあるけど涙が出そうになった。
 皮肉抜きで真面目に言って彼は英雄であると思う。

 世の中の殆どの人間は、ウィリアムズの真似はできないだろう。
やはり僕を含めた世の中の殆どの人間は、

 人のことよりも自分が大切。
 自分の身が可愛い。 
 他人よりも自分が助かりたい。
と思う人が圧倒的に多いだろう。

 やはり結局は、殆どの人間は、多かれ少なかれ「自分本位」であることは否定できない。
 これは、自然なことであり仕方ないと思う。
 大分前から僕は、いつか本を出したときこのことも書きたいと思っていた。「しかし相変わらず出版費がないのでとりあえずブログに記事を書いた。」
 また軽々しく人を「ジコチュー」とか自分は正義のような態度で見下すようにわかったようなことを言う人に腹が立って僕の思いを記事にしたいと思っていた。
 今回この記事を書くために以下のホームページとブログを参考にさせていただいた。
http://www.ntv.co.jp/FERC/research/20031102/kiseki009.html
http://fence.jugem.cc/?eid=39

 しかしこれらのHPやブログを参考にしてなかったら僕は間違った記事を書くところだった。
 僕の記憶では今回話したウィリアムズが河に飛び込んで最後までロープを譲り続けたと記憶していたのだが、どうやら僕の記憶違いだったようだ。 やはりあのときの僕は、酒が入っていたからな。 このウィリアムズのことを親に話したことがある。 「世の中の殆どの人間は多かれ少なかれ自分中心よ。 自分中心を非難できるのはウィリアムズぐらいよ。」と言ってウィリアムズのことを親に話したことがある。
 すると親は、ウィリアムズと名前は覚えていないみたいだけど「そういえば昔ニュースで見たことがある。あの人は最後までロープを譲りよった。」と飛行機事故で最後まで他人にロープを譲っていた英雄(真面目)のような人を覚えていたみたいだ。

 
しかし、そうは言っても人間にはやさしさというものがあると思う。
これは、必ずしもきれいごととは限らない。
 ボランティアの強制などはただの偽善、偽善の押し付けにしか見えないが、助け合いだって全部がきれいごとではないと自身を持って言いたい。
 人間殆どはたとえ自分本位ではあっても、自分は、大切なのは当然としても人のことも考えることが出来るということが人間のやさしさであると個人的には思う。

 自分のことしか考えることが出来ないのが問題であって、自分が一番大切でありながらも他人のことも考えるということは、人間として大事なことだとも思う。

 人間は、生きている限り多かれ少なかれ誰かに迷惑をかけることはある。
 しかし、時には助け合うこともある。
 人のお陰でたすかることだってある。

 僕は、やさしさや助け合いの全てを偽善とは言いたくない。 
 あのときあの人のおかげで助かったということは、世の中にはある。

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