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業界は「声を上げる者」に対して冷たい!

(9月30日一部修正)

(9月29日16時56分)
たくきよしみつの著書の写真ST340007

 まずは、著書、裸のフクシマ の内容を一部引用させていただく。


裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす
(2011/10/14)
たくき よしみつ

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(343ページより)


 いまから20年前の1991年、僕は『マリアの父親』という作品で第4回「小説すばる新人賞」を受賞した。
この作品を書くきっかけとなったのは、当時はまだ活発に行われていた原発論争だった。
 テレビ朝日の『朝まで生テレビ』で、原発の是非を巡る討論が2回行われたが、そこに反原発
(344ページ)

の論客として出ていた物理学者・槌田敦氏の『資源物理学入門』(NHKブックス)と、経済学者・室田武氏の『エネルギーとエントロピーの経済学』(東洋経済新報社)を読み、それまでもやもやしていた疑問が一気に解けた思いがした。
 そうだったのか!世の中はこうなっていたのか!
 目から鱗が落ちるという経験はまさにあのときのことだった。
 エネルギー問題は純粋な計算問題。取り出せるエネルギーより投入するエネルギーが大きければ意味がない。

例えば、水を電気分解して水素を取り出して、その水素を燃やしてエネルギーを得ることはできる。しかし、水素を燃焼して得られるエネルギーよりも、その水素を得るために水を電気分解するときに使うエネルギーのほうが大きいので、やる意味がない。そんなことをやるなら、水を電気分解するときに使ったエネルギーをそのまま使ったほうがいいに決まっている。当然、事業として成立しないから誰もやらない。


 ところが、これを「水素はクリーンなエネルギーだから、高くついても水素エネルギーを推進することは意味がある」として国が税金を投入したとすれば、事業者は儲けを出せる。
 ああ、そういうことだったのか・・・・・・。
 もうひとつ、重要なことを学んだ。
 あらゆる活動は「汚れ」を生じさせ、無秩序や劣化という方向に進むが、その「汚れ」は増える一方であり、放っておけば減らない(「熱力学第二法則」別名「エントロピー増大の法則」)。

(345ページ)
 そのまま汚れを放置し、蓄積し続ければ環境全体が死を迎える。
 生物はものを食わなくてもしばらく生きられるが、発汗や排泄機能を失えばたちまち死んでしまう。つまり、エネルギーを取り入れることよりも、エントロピーを捨てることのほうがはるかに重要なことである。
 地球上の生命活動が続いているのは、活動によって生じた「汚れ」を熱に変えて宇宙に捨てる循環機構(水や大気の循環、食物連鎖による物質循環など)が存在しているからだ・・・・・・という理論。
 これは衝撃的だった。
 なぜこんな重要なことを学校で教えてくれないのかと、慄然とした。
 このことを理解しない限り、人間はこれから先も間違いを繰り返すだろう。
 このテーマをエンターテインメントの形で扱えないかと考え、書いたのが「マリアの父親」だった。

人間が持っている3つの希望ー知性、純真、愛情を3人の登場人物に託し、大人の童話風に仕上げるという野心的な作品だった。
 『マリアの父親』の帯には、選考委員であった五木寛之さんが、
 「作者の志というか、つよい情熱が伝わってくる」
 という一文をくださった。
 ・・・・・・が、この作品は売れなかった。
 出版社の文芸担当編集者の中には「たくき よしみつという新人は反原発の危険人物らしい

(346ページ)
ら、あまり関わらないほうがいい」などと言っている人もいたと、同賞の先輩受賞者から聞かされた。
 担当編集者からは「経済のマイナス成長を肯定する作品だものねえ。うちとしても大々的に宣伝するわけにはいかないのよ」と言われた。
 このままずるずると消されてたまるかと、その後も奮闘したつもりなのだが、気がつくと「小説を書いても出してもらえない作家」になっていた。
 あの小説を書いたときでさえ「自分が生きているうちには怒らない「起こらない(9/30 修正)」だろう」と思っていた巨大原発事故が、20年経ったいま、
現実に起きてしまった
 『マリアの父親』を拾ってくださった雑誌「すばる」の編集者・片柳治さん、「志を忘れずに書き続けろ」という手紙を遺言代わりに送ってくださった高校時代の恩師・井津柱士先生、いつまでも売れない僕に何かと目をかけてくださった作家の永井明さん、本当に食えなくなったどん底時代に仕事をくださった恩人たちは、みな60歳前後という若さで癌で亡くなった。
 残された自分はいま、放射能汚染され、癌のリスクが連日論じられている日本を見ている。
 ・・・・・・これはどういう運命なのだろうか・・・・・・。
 とても不思議な気分だ。
 生き残っている自分の中に、『マリアの父親』を書いたときの志がまだ残っているかどうか、自信はない。



(引用終了)

マリアの父親マリアの父親
(1992/01)
たくき よしみつ

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 ◆原発のおかしさを作品で表現すると、仕事が入らないようにする日本の業界は、本当に腐っている
 
 自分は、今ブログで原発推進派に復讐する、物語り「-ryu-」(絵はあまりにも下手だが 漫画らしきものを描きながら画力を向上させて行きたい。)を描いているが、 著作権とやらを腰抜け出版社に預ける気はない。「←もちろん自分は、そこまで言える程の画力でないことは承知しているが、問題は、画力の下手さだけでなく、力ずくで世界の原発を根絶するという内容の漫画は、例え大友克洋並みに絵が上手くても 内容が反政府的という意味で今の業界の下では、出版してもらえそうにないと考える。 仮に出版されたとしても 大幅な修正妥協を、強制されかねない。 」

 次は、火炎瓶テツさんの事例で考えてみたい。

職場で村八分になった。デモや抗議を振り返る。火炎瓶テツさん、
▲この動画の彼の話を聞いただけでは、なぜ職場で村八分にされたのか?というその経緯については、分からない。
 恐らく、反原発デモに参加するなど、反原発を表明することにより職場から村八分にされたのではないか? と考える。

 このように、今の日本の 創作物業界「当たり前だが 漫画、アニメだけが創作物ではない! 小説、映画、写真も創作物である! 」は、腰抜けそのものであり、 このような声を上げる創作者を、村八分にして来た日本の腰抜け創作物業界も日本を駄目にして来たと考える!
 
2012/09/30 09:30自主規制ページ上部へ▲
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