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被害者だから何をしてもいいわけではない。

  通常国会が始まると言うことで、成人を性犯罪者に仕立て上げるための児童ポルノ法に警戒しないといけなくなった。

  児童ポルノの単純所持規制に賛成する奴のなかには、性犯罪の被害者という奴もいる。
  もちろん、それについては、一方的な被害者の人もいることは否定しない。

 しかしだ、自分が性犯罪の被害者だからと言って、軽々しく罰則範囲の拡大を肯定するのであれば、性犯罪被害者であろうが、敵とみなす。

  よく考えたらおかしい。
 成人女性への性暴力があるからと言って、成人ポルノを規制しろというのは論理が破綻している。  

  児童ポルノ法は、貧しい国の少女への性的虐待と日本の中高生の猥褻に見える写真との区別がない。
  児童ポルノ「18歳未満の衣服を着けない写真、動画」=虐待とみなすのは短絡的な発想である。

 プールで事故死した子供の親がもし、世の中からプールなどなくなってしまえ、と叫んだとしたら、その親は厳しい批判を受けるに違いないが、調子に乗った被害者の発言はそのような親の発言と酷似している。

 レイプがあるからといって、性欲それ自体が否定されるべきではなく、クラブきっず における渡辺被告の不適切な発言も、彼の性的嗜好(指向)それ自体とは完全に区別して考えるべき問題だ。
 性的嗜好(指向)は人格とは無関係に存在する本能であり、同性愛だろうがSMだろうがロリコンだろうが、それ自体に善悪などはなく、感情的な拡大解釈で表現の自由の幅を狭めていくようなことがあってはならない。 
 行き過ぎた被害者の発言は、日本を中国や北朝鮮化させる危険な発言だ。
 渡辺被告が教諭として不適格であることは間違いないが、それを超えて、性的嗜好(指向)それ自体を批判したり、表現の自由の規制を肯定するのは行き過ぎとしか言いようがない。

  学校の虐めで我が子が自殺に追い込まれたからといって、学校制度を廃止しろと言えば、世論から叩かれることは間違いないだろう。
  義務教育廃止ぐらいは、言ってもらいたいぐらいだが
  学校以外の場所で、学習する権利なら、絶対に認めるべきである。

 最近の法律の改悪は、つくるのが目的の法律、または人を取り締まるのが目的の法律になりつつある。
   


  
  
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